1 9 8 0 年代に段ボールを使った作品で脚光を浴び、広告や舞台美術など幅広いフィールドで活動してきたアーティスト・日比野克彦さん。近年は自身の作品制作だけでなく、一般参加者とのコラボレーションを通じて、その地域の特性を生かしたアートワークを展開しています。
終わりの見えないコロナ禍や国際情勢の不安によって環境が一変するなか、日本アートの最前線で活躍を続ける権威は社会の変化をどう読み、次に何を仕掛けようとしているのか。その言葉から、未来をつくるヒントを探ります。

日比野 克彦 さん
KATSUHIKO HIBINO

 

1958年岐阜市生まれ。1983年東京藝術大学美術研究科大学院修了。1982年第3回日本グラフィック展大賞、1983年第30回ADC賞最高賞、1986年シドニー・ビエンナーレ、1995年ヴェネチア・ビエンナーレ出品。1999年毎日デザイン賞グランプリ、2015年文化庁芸術選奨芸術振興部門 文部科学大臣賞 受賞。2007年より東京藝術大学教授。今年4月1日、東京藝術大学学長に就任。他の主な要職として、岐阜県美術館館長、熊本市現代美術館館長、日本サッカー協会社会貢献委員長を務める。

 

HP(個人): https://www.hibinospecial.com/

HP(東京藝術大学): https://www.geidai.ac.jp/

アートは人の心を動かすものだからこそ、

社会課題の解決に貢献できると思う。

―日比野さんは、芸術のジャンルを横断する多彩な表現活動を続けていますが、それぞれ取り組み方にどのような違いがありますか? 

僕がアート活動をスタートしたのは1980年代の中頃でしたが、当時はアートに対する価値観が変化し、時代を反映した新しいものが求められている時代でした。1970年に大阪万博が開催されて都市のインフラ整備が進む中で、新しいものを創っていこうという空気感があったんです。音楽では坂本龍一さん、演劇では野田秀樹さんなどそれぞれの芸術領域で新しい表現が誕生する一方で、アートでも美術館を飛び出し、都市空間を新しいメディアとして利用するストリートアートが増えていきました。そういった時代の動きの中で僕自身も自分の感性をさまざまなメディアで発信する活動が増えていきました。編集者と組めば雑誌に、アパレルメーカーのディレクターと組めば洋服に、演出家と組めば舞台美術というように、僕自身がやっていることは変わらないんですけれど、誰とどんな風に出会うかで、その物語が変わっていくというわけです。

 

―近年はご自身の作品制作だけでなく、地域住民との共同制作によるアートプロジェクトなど、さらに活躍のフィールドを広げている印象がありますが、どのような心境の変化がありましたか?

大きな潮目となったのは、1980年代前半のバブル崩壊かもしれません。それまで右肩上がりだった経済に陰りが見えはじめると同時に、阪神淡路大震災(951月)や地下鉄サリン事件(同年3月)などそれまでの価値観を大きく揺るがす出来事が次々と起きました。そんな時代だからこそ、他者とのつながりや心の輪みたいなものが求められていたし、アートだからこそ、人と人、人と地域、地域と地域をつなぐ役割が担えるんじゃないかと思いはじめたわけです。アーティストが現地に赴き、その地域の人々との交流を通してその土地ならではのアート作品を共同制作する。アートプロジェクトを通して、地域の魅力や社会的課題を発信する活動を続けています。

 

※1「明後日朝顔プロジェクト」

「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ2003 において、新潟県十日町市莇平の廃校になった莇平小学校校舎を拠点に、集落の住人と朝顔を育てることからはじまったプロジェクト。人・地域間のコミュニケーションから生まれた活動として、全国29地域が参加しています。写真は、廃校になった莇平小学校校舎。

※2 東京藝術大学「SDGsビジョン」

東京藝術大学は今年2月、アートや芸術がSDGsにどのように関わることができるのかをまとめた「SDGsビジョン」を発表。「SDGsが掲げる社会変革に貢献」「社会との結びつきを強化」「持続可能な大学を目指す」「芸術と社会の架け橋となる人材を育成」「独創的な視点からイノベーションを生む」の4つの核が示されました。

※3 東京藝術大学『I LOVE YOU』プロジェクト

現代社会において芸術が担うべき新たな役目、可能性を見つけるために立ち上がった全学的なプロジェクト。科学・医学・福祉等のあらゆる分野とつながり、新たな価値を見出し、社会を豊かに変えていくことができる芸術の力を、多種多様な企画によって発信しています。

―そのひとつが、「明後日朝顔プロジェクト※1」というわけですね。

これは2003年の「大地の芸術祭越後妻有トリエンナーレ」ではじまったもので、新潟県にある集落の方々と一緒に朝顔を育てるという、プロジェクト型の作品です。新潟で収穫した朝顔の種が集落の方々の思いや記憶とともに全国各地に運ばれ、さまざまな土地で同じ光景を生み出す。朝顔の種が橋渡し役となって、地域や人々同士のコミュニケーションが生まれるわけです。今年で18年目を迎えますが、今では全国28地域を繋ぐ大きなネットワークとなっています。

 

―TSUNAGUではこれまで、紙を素材としてアート作品を創作するアーティストを多数ご紹介してきました。創作活動において、紙は必要不可欠な存在ですよね?

市販の紙は、色や質感が微妙に変わってしまうので、好きな紙を見つけると買い溜めしておくようにしています。アーティストは一度気に入るとその材料に固執するところがあって、無くなると困るから担保として購入するんですけど、実際には切れ端までしっかり使うからストックはそれほど減らない(笑)。紙は重いからアトリエの引っ越しの際には苦労しましたね(笑)。

 

―日比野さんが印象に残っている紙や、気になっている紙があったら教えてください。

僕は大学2年生のときに初めて海外を旅行したんですけど、その時にフランスの街中で見た古びたポスターが印象的でした。人間は命に限りのある生き物だからこそ輝きを失うことのない黄金や大理石に惹かれるわけですけど、紙は時代や時間の流れに反応して色褪せ、朽ちていくもの。僕としてはその美しさに価値を見出したいという強い思いがあります。丈夫な紙や耐水性のある紙というよりも、その紙を梱包していた包装紙の方が気になるかもしれません。

―コロナ禍によって対面でのコミュニケーションが難しい時代が続いています。アート界にはどのような影響がありますか?

先行きが見通せないので心のなかがモヤモヤするんですけど、このモヤモヤこそがアートの苗床。人間にはモヤモヤすることをはっきりさせたいと思う習性があり、解明しようともがく結果としてアート表現が生まれるんです。モヤモヤの不安感を共有したい、発信したい、表現したいという心の揺らぎがアートを生み出す力になってくるわけです。時代の潮目には必ずその時代の表現が生まれてくるもの。どれだけデジタル技術が進化してハイスピードな解析ができるようになっても、人間の基本的な心の揺らぎ方は変わらないので、今の時代だからこその、これまでにないような新しい表現が出てくるんじゃないかと思っています。

 

―今年4月に、東京藝術大学の学長に就任されましたが、アートがどのように社会にアクセスし、貢献していくのか。アートが担う社会的な役割をどのように考えていますか?

SDGには、持続可能でよりよい世界を目指す開発目標として17のゴールがありますが、それに到達する為には一人ひとりが日々の行動を変えていかなければなりません。でも、510年と続けていく為には、ゴミの分別によって海に流入するマイクロプラスチック量が減り、その結果として海洋生物の保護につながることを理解して、本当に海や海洋生物を守りたいという気持ちにならなければ目標を達成することができません。つまりは、“人間のこころ”を動かすことが重要なんだと思うんです。アートは、人間の心を対象としているもの。人の気持ちを動かしたり、揺らぎをもたらしたり、人の心を変容させる機能を備えるのがアートなのです。SDG17のゴールには“芸術”や“文化”の文字はひとつもありませんが、人の心を動かすアートはすべての目標に通じています。アートは、すべての社会問題とつながっていて、その解決に貢献できるもの。※2これからもアートの魅力や可能性を発信しつつ、果たすべき役割を担っていこうと思います。

―最後に今後予定しているプロジェクトなどを教えてください。

東京藝術大学では「芸術は人を愛する」という信念のもと、『I LOVE YOU』プロジェクト※3という活動を進めています。これは社会課題に対してアーティストたちが当事者として取り組み、アートの力を活用することで共生社会の実現を目指すプロジェクトです。たとえば認知症に効果のある文化的処方はないか、重度の障がいを持つ子どもたちが病院のベッドの上でもアートに触れる機会をつくれないかなど、その人らしさを受けとめたうえで文化活動ができる方法を考え、実践しています。一人ひとりの違いを面白いと感じるアートの考え方は多文化共生社会の実現につながるもの。藝大には、幅広い芸術領域のアーティストたちの作品のコレクションやアーカイブがありますし、日本中の芸術系大学のコンソーシアムを通してそれぞれの地域にいる大学生や地域産業とつながることができます。これからも文化芸術に関わりのある企業と連携しながら、社会に有益な情報を発信していきたいと思っています。